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色気のないフィルムなんか作りたくない! 川尻善昭 INTERVIEW with STAFF

※『マッドハウスに夢中!!』中の「INTERVIEW with STAFF:川尻善昭 YOSHIAKI KAWAJIRI」を関係者のみなさまのご厚意により転載させていただきました。
(初出:『マッドハウスに夢中』)2001年7月7日発行 オークラ出版

〈憧れの先輩がいるマッドハウスに入りたかった〉

マッドハウスというのは仕事にかかると機動力があるし、プロデューサーがオブザーバーになってくれるし、わがままを言わせてもらえるし、仕事がしやすいところですね。

 僕は虫プロダクション時代、『どろろ』班だったんです。マッドハウスの人たちは『あしたのジョー』班だったんですけど、彼らがマッドハウスを作った時に、どうしても参加したくて「入れて下さい」というようなことを言ったんです。

 というのも、仕事の方向として憧れていた先輩たちがマッドハウスに集まっていたんですね。出崎さん、杉野さん、それから原画の先輩たち、僕がああいうふうになりたいなと思っていた人たちがマッドハウスを作るというので、僕も一緒に行きたくなったんです。あとは、給料2倍にしてくれるって言われたのも理由かな(笑)。

 ただ、麻雀が好きな人が多かったんですよ。「入れて下さい」と言ったら、「麻雀ができるのが条件だ」と言われて、あわてて覚えました。

 実際、マッドハウスに入ったら机の後ろで麻雀してるわけですよ。麻雀の楽しさを知ってれば許せる気になるだろうけど、知らなければ単にうるさくて仕事の邪魔なだけですから、確かに麻雀ができるのは必要な条件だと思いましたね。もともと僕はアニメーターになりたかったわけじゃないんですよ。アニメーターになりたいと思ったのは、虫プロに入ってからですね。

〈虫プロに入ったのは、マンガ家になりたかったから〉

 マンガ家になりたいんだけど、どうやってなったらいいかわからない。今みたいにマニュアル本のようなものがあるわけじゃないし、せいぜい石森(石ノ森)章太郎の『マンガ家入門』ぐらいでしたから、どうやったらマンガ家になれるかという情報が全然なかったんです。

 それと、マンガ家にはなりたいけど、自分の絵に自信がなかったということもあって、とりあえず絵に自信がなかったということもあって、とりあえず絵でメシを食わせてもらって、絵の勉強ができるところはないかなあと思っていたんです。

 そうしたら、たまたまうちの近所に虫プロで作画監督をやっていた北野英明さんの実家があったんですけど、うちのおふくろと北野さんのお母さんが知り合いになって、僕がマンガ家になりたがってるという話が出たらしいんです。

 それで、北野さんが紹介してくださって虫プロに入ったんですよ。北野さんは『どろろ』の作画監督をやってましたから、僕も『どろろ』班所属になりました。

 虫プロで仕事をし初めて、半年ぐらい経ったところで「こりゃ、マンガよりずっとおもしろいな」と思うようになったんです。動きがあって、音があって、時間の流れがある。

 そこからはもう、マンガの方をあきらめたというんじゃなくて、「おれはアニメーションがやりたい!」と真剣に思いましたね。

〈『妖獣都市』で監督としての手応えを感じました〉

 マッドハウスが『夏への扉』とか『浮浪雲』とか、劇場アニメを作り始めた頃、僕はレイアウト(画面構成)の作業をやり始めていたんです。

『夏への扉』で、始めて1人で全カットのレイアウトをやってみたんですが、やってみたら、それがおもしろくって。

 それで『浮浪雲』でも、そういう作業をやりたいなということで、レイアウト中心にやらせてもらったんです。でも、竜馬暗殺のシーンだけは僕も興味を持っていたし、そこだけは原画をやりたくて原画を描いてます。久々にやってみたら、原画もおもしろいなと思いましたね。

 その後の『ユニコ2』でもレイアウトをやったんですが、この3本でレイアウトっていうのは、アニメーションにとってキーになる仕事なんだということを実感しました。

 それはその後の、絵コンテを描く上で非常に役に立っていると思います。

『レンズマン』では一応監督ということになってるんですが、絵コンテだけの話がいつの間にか監督になっちゃって、監督なんて二度とやるもんか、という気分だったんです。

『迷宮物語』の時も、監督としてなにかをやろうとか、そういう気は全然なかったんですよ。自分は作画監督とか原画とかキャラクター・デザインとか、そういう方向で行くんだと思ってましたから。

 ただ、オムニバスで10分ぐらいのものだというし、「好きなことやってもいいよ」と言われたので、調子にのってやってみたんです。そう言われると割と気楽にできるじゃないですか。お話も好きにやっていいよ、って言われたし。で、やってみたら「監督というのもちょっとおもしろいかな」と、そこで思いはじめたんですよ。でも音響作業とかは、ほとんどりん(たろう)さんにお任せだったんです。

 だから、僕自身の意識の中での最初の監督作品というのは、やっぱり『妖獣都市』ですね。

 菊池(秀行)さんの原作を、その時初めて読んだんですよ。山田風太郎の忍者小説が昔から好きだったんですけど、それを今風にこんなのを書いちゃう人がいるんだということで非常に感動して、これだったらやりたい。絶対監督できると思ったんです。

 この作品で、自分のやりたかったものが一挙に出せて、自分がおもしろいと思うものを人にどう伝えたらいいのか、みたいなことに自信が持てたという点では、この作品が監督としての始まりでしたね。演出としてもターニングポイントになりました。

『迷宮物語』のような重い絵のイメージがみんなの頭の中にあって、『妖獣都市』の企画が僕に来たのかな。ハードな重い絵柄が要求されるものだったから、それで僕だったんじゃないでしょうか、という気がします。

 絵に関しては、今はもう、僕よりうまい人がいるので、なにもしたくないですね。全面的にお任せしたい。

『妖獣都市』をやった時には、ああいう絵柄を描く人はあまりいなかったし、この作品のムードからいって、こういう絵の必然性があるということで、自分でキャラクターも描いたんです。

 僕は『まんが日本昔ばなし』なんかもやってましてね。当然、『まんが日本昔ばなし』には、今やってるようなこってりキャラは登場しないですけどね。

 でも、どっちかっていうと、本当はああいうシンプルなキャラの方が好きなんですよ。『妖獣都市』をやってから、そういう話が全然来なくなっちゃった。たまにさっぱりしたのをやりたいなと思うんですけどね。今はもう描けないかな。

『魔界都市〈新宿〉』の時は、キャラクター・デザインは恩田(尚之)くんといううまい人がいるということで以前から注目してたんです。だから、「この人を連れて来られれば、おれはやらないよ」とずっと言ってました。

『D』の箕輪(豊)くんもいい絵を描きますよね。恩田くんも浜崎(博嗣)くんも箕輪くんも、みんな魅力的な絵を描きますよ。リアルだけど、デフォルメとか、そういうこともうまい。

 共通して言えるのは、僕が一番大事だと思っていることなんだけど、彼らの絵に色気があるということなんです。色気のある絵が好きだし、色気のないフィルムは作りたくないですからね。

 僕自身は、一枚絵にはまったく興味がありませんね。ポスターとかイラストは全然描きたくない。昔からそうなんですよ。フィルムにしか興味がないんです。グラビアなんか絶対ごめんだし、一枚絵を描いてても満足感がないんです。

 だから一枚絵は、絵のうまい箕輪くんとか恩田くんにまかせちゃう。だって彼らの方が絶対うまいから。

〈動かす絵が好きだから原画は描き続ける〉

 最近はどんどん絵を描かなくなってるんですけど、原画だけはずっとやってるんですよ。『妖獣都市』以降、原画は全作品必ずやってますね。とにかく、絵を動かすのが好きなんですね。

 とはいっても、自分が原画を担当するのは余ったところなんですよ。原画さんのやりたいところを決めてもらうと、『ここだけは勘弁して下さい』みたいな変なところが残っちゃったりするわけですよ。

『獣兵衛忍風帖』だったら、ハチがブンブン飛ぶところとか、手間がかかってめんどくさいところですね。

『D』では馬をいっぱい描きましたね。

 今の原画の人って、あんまり馬を描いたことがないじゃないですか。僕は『マルコ・ポーロの冒険』とか、あの辺の原画もやってますから、結構、馬を描いてますし、馬そのものも好きなんですよ。

 アニメーションをやってておもしろいなと思うのは、自分が思いつきもしない絵が、動きの中で描けたりする。それは非常に面白いですね。

 僕にとっては、原画は一番ストレスがたまらない作業なんです。シナリオとか、コンテとか、チェックとかっていう仕事は、やっぱりストレスがたまってくるんですけど、原画に関しては、頭からっぽ状態で、音楽を聞きながら、ピューッと筆を走らせればいいだけですから。

 ストレスっていう意味では『獣兵衛』が一番ストレスが溜まったかもしれない。時間がなかったしね。

 今後の予定としては『X』のテレビシリーズがあるんですけど、テレビシリーズの監督というのは初めてですし、シリーズでなければ出せないおもしろさというのが当然あるわけですから、それに取り組んでいきたいなと思っています。