川尻善昭公式サイト

Review

『バンパイアハンターD』《監督作品 劇場長編映画 2000年》

Reviewer : じんのひろあき

『バンパイアハンターD』監督・脚本・絵コンテ、川尻善昭。『D-妖殺行』を原作に製作。1999年末以降『Vampire Hunter D: Bloodlust』の題でアメリカにて先行公開され、日本では2001年4月に、音声は英語のまま日本語字幕をつけて公開された。
 「貴族」マイエル・リンクが、都の名門エルバーン家の少女シャーロットを拉致した。
 だが、シャーロット救出を依頼されたのは、Dだけではなかった。
 D、「貴族」たちでさえ恐れる凄腕のハンター一味のマーカス兄妹、マイエル・リンクと彼が雇った怪物の用心棒「バルバロイの民」が入り乱れての追跡行の行きつく先、最終決戦の場は、悪名高い女「貴族」カーミラの居城であった。
 と、ここまでがウィキ。
 さて、本作は『Dー妖殺行』を換骨奪胎し再構成されて作られている。例えば、原作では冒頭でDとマーカス兄妹との出会いがあり、そこから追撃が始まるが、映画 ではマイエル・リンクによるシャーロット拉致から始まる。Dとマーカスが出会い「D」が名乗るのは11分目のことである。
 だが、そんなふうに再構成されている本作を見ても「原作とは違う」という違和感はない。
 とある原作を映画化、映像化する際、まず考えるのが、誰がどこでどう出会い、そこで各々のバックボーンを始め、世界の設定の説明をどのようにするのか? ということだ。そして、それは最初にあらすじなるものにまとめられる。当たり前だがあらすじはまず文章で書かれることになる。
 だが、たいていの場合、文字で世界を表してしまうと、実はどこまで説明しても伝わらない何かが残ってしまうものだ。これがわからない輩は多い。
 誰にでもわかるようにと腐心したあげく のあらすじは、その手順を経ることで、肝心の物語の世界を説明するには不十分なものになっていくのだ。よって世の中の原作のある映画化、映像化の作品はその空白を埋めるべくさらに… となるのだ。
 そもそもフィクションの世界は断片で構成されている。
 だがその断片というやつは言葉ではない。
 本作『D』の場合。
 これは近未来の話である。
 貴族と呼ばれている吸血鬼が支配する世界。
 そこで貴族と人間との間に生まれたダンピールと呼ばれている優秀なハンターがいる。
 それがD。
 Dの手には喋る人面疽がある…
 こういったことを説明するために冒頭にあるシークエンスが組まれ、近未来であることから入り、ダンピールである宿命、人面疽と順に紹介されるのが 常だ。映画の始まりには、誰もがちょっとしたアクションシーンを入れたがる。そして、誰かの口で「あれは…」とか「まさか!」とかやってしまうのである。
 これはどんな近未来か? を説明しなければならない、ダンピールの能力はどんなものか? といったことや、また人面疽がどう戦いにからんでくるのか、をワンセットにして順に描かなければならない、というほとんど強迫観念のような『説明しないとわかってもらえないのではないか』という病に誰も彼もが冒されてしまっている。それはまるであてどもなく歩く『D』の世界の歩く死人達のようだ。
 ではこの映画『D』は原作からなにを掴み出して映像化されたのか。
 それは川尻善昭監督が持つ独特のフィルターを通して選ばれたものであろう。
 川尻フィルター。
 『衝動の美』と呼ばれるフィルターではないかと私は思う。
 この『D』に限ったことではないが、川尻作品を貫くのは『衝動の美』であり『美の衝動』である。
 アニメーションである以上、フレームの中で描かれた何かが動く。
 だが、動くということも様々あり、描かれたキャラクターの肉体が躍動するもの、人が芝居しているかのごとくキャラクターが動いて演技すること、動いている時間の圧縮、あるいは引き延ばしといったデフォルメ、などなど様々ある。
 キャラクターの躍動に情が伴っていると見る者の胸を打つものである。
 だが、川尻作品の動きはそれらと違う『衝動の美』の動きである。
 衝動とは激情などといった情を伴った動きの事ではなく、衝動の衝は衝く(つく)であり、フレームの中での衝く動きである。
 衝くのは鋭い点、点を衝く力は早い。
 映画『D』の冒頭にちりばめられたこの点を衝く動きを羅列するならば、それは、歪む十字架、凍てつく氷点の走る街の噴水、駆る馬脚、枯れる花、鏡に入るヒビであり、さらには、鏡に映らぬ腕に抱かれた女が一瞬にして連れ去られる…動きである。
 強き点。
 もちろん、動には静がついて回る。動は常に静と共にある。
 ここで対となる静もまた、静寂であったり、静かな間であることはない。
 緊張をはらんだ静。
 間としての時間ではなく、なにが起きてもおかしくはない静寂の時間、それが川尻アニメの静である。
 そして、その静はすぐに見る者の予想をはるかに超える衝動によって壊される。
 その繰り返しと積み重ねによって『D』の世界は再構築されている。
 けして、物語をなぞっているわけではなく、そういった『衝動』の断片の連続が世界を構築することもある、ということを川尻アニメは実践している。
 原作から抽出されたのはまさにこの『D』の世界において『衝動の美』をはらんでいる断片であり、瞬間、再構成されたのは物語の筋ではなく、この『衝動の美』の並びである。
 美しい衝くような鋭い動きが連鎖する映画が美しくないわけがないではないか。
 その美しさの連鎖はやがて意味を持つ。
 原作にある『D』の世界が現れるというわけである。

じんのひろあき プロフィール
1962年福岡生 企画・脚本・演出家  押井守監督『紅い眼鏡』美術担当。金子修介監督ロマンポルノ『ラストキャバレー』で脚本デビュー。以後、市川準監督、廣木隆一監督、黒沢清監督らの脚本を手がける。中原俊監督『桜の園』の脚本でキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー脚本賞、ヨコハマ映画祭脚本賞受賞。最新作は石井岳龍監督『シャニダールの花』

© 2001 トライストーン・エンタテイメント/菊地秀行/バンパイアハンターD製作委員会