川尻善昭公式サイト

Interview

Long Interview 川尻善昭自作を語る

監督デビューとなった『SF新世紀レンズマン』から30年。そのあゆみを川尻監督自らの言葉でたどる。

取材・構成 藤津亮太
編集・構成 T.meiri

第2部 『妖獣都市』から『バンパイアハンターD』へ 第1回 監督として走り出す

この作品は「自分に合っている」と直感した

『SF新世紀レンズマン』('84年)と『迷宮物語』の『走る男』('87年)で監督クレジットされているわけですが、「監督」をやろうと自覚を持つようになったのはいつからですか?

それはやっぱり『妖獣都市』からですよ。それまで絵コンテを描くことはあっても、あくまで一スタッフ、特に作画中心の作業が自分には向いていると思ってましたから。

妖獣都市』の企画の経緯は?

『妖獣都市』はそもそもジャパンホームビデオ(JHV)さんをスポンサーとして発足させた外部のプロデューサーの方々がマッドハウスに持ち込んできた企画だったんです。その方々が『走る男』を見て、『妖獣都市』を川尻にやってほしいという形で依頼をしてくれたんです。『走る男』のダークで重い絵面ですよね。『妖獣都市』にはホラー的なダークな雰囲気が必然的に必要じゃないですか。それでいけると思って持ち込まれたんじゃないかと思います。

川尻監督は企画を打診されていかがでしたか。

菊地秀行さんの小説を読んだのはその時が初めてでした。
自分も大好きな山田風太郎の忍法帖的世界を現代風にアレンジして、こんなに面白いものを書いてる人がいるんだと知ってとても感激しました。
そしてこの荒唐無稽で刺激的な世界を説得力のある映像化ができるのは自分しかいない、自分が一番合ってると確信し、この作品の面白さを人に伝えたい!
それが心底、監督をやりたいと思ったターニングポイントでしたね。それですぐに「是非やらせてください。」と返事しました。

    

『妖獣都市』を制作するについてはエロスとバイオレンスは避けられませんが、そこの表現については、「こう見せたい」というような考えはあったのでしょうか。

要は自分の世代――当時だと30代後半ですね――が普通に楽しめる大人向け映画を作りたかったんです。自分の世代は子供のころからマンガやアニメに親しんできたわけですが、大体高校生になったくらいでマンガやアニメから卒業しちゃう。でも大人になった時に大人として楽しめる作品があったらまた見てくれるんじゃないかと。それに『妖獣都市』は山田風太郎の系譜を継ぐ作品なわけですから、過激な設定や描写というのははずせない大事な要素なんです。

最初は35分の尺で制作を進めていたそうですね。

そうなんです。僕は35分の中編クラスの作品として進めてくれといわれて引き受けたんです。それで絵コンテが完成して、冒頭の空港のシーンの絵コンテも出来上がっていました。そのタイミングで、僕にはよくわからないんですが、80分作品にならないだろうかという話が来たんです(笑)。

とても、後から半分近く伸ばしたようには見えませんよね。

それはよかった(笑)。『妖獣都市』については、美術監督の男鹿(和雄)ちゃんと一緒に作りあげた感じがあったんで、男鹿ちゃんを飲みに誘って二人で話をしたんです。「今日、80分作品にならないって言われちゃんだんだけれど、俺としてはそれでもやりたいと思ってる。一緒にやってくれる?」って聞いたら、快くOKしてくれて。

それは心強いですね。

それで、新たにシナリオは作らずにメモ書きだけ書いて、プロデューサーに説明したんです。メモというか展開が書いてあったわけでなく、大事なセリフだけですね。そのセリフを見せながら、口でこういう展開になります、後は絵コンテを見て下さい、というような形で進めていったんです。

イレギュラーなやり方だったんですか。

35分から80分に急に変わったわけだからね(笑)

35分版の時の内容というのはどういうものだったんですか。

それが、実はもうあまり覚えていない(笑)。冒頭が空港のシーンで滝蓮三郎と麻紀絵が出会うシーンでした。あとクライマックスは当然、教会のシーンですね。この2つがあったのは確実です。

すると冒頭の滝と蜘蛛女の戦いは……。

あれは後から足して作ったところですね。相手の妖獣たちの刺客の数を増やしたはずなんで、それで登場させたはずです。

描きやすかったのは麻紀絵

菊地先生と打ち合わせはあったんですか?

いや、全くなかったです。

すると完成してからようやく対面したとかそういう感じだったんでしょうか。

制作発表会があったんです。そこで空港のシーンの映像も上映したりしたんですが、その時に初めてお話しをさせていただきました。で、空港のシーンの映像を見て気に入っていただいたようで「お任せします」と言ってくださいました。80分に膨らませた内容などのことは当時のプロデューサーが報告をしていたとは思うんですが、「お任せします」の一言で、こちらとしては安心して作ることができました。

基本的に原作の通りの内容なんですよね。

基本的な話は変えていないです。『妖獣都市』の一番のポイントは、人間側と妖獣側の闇ガードがある人物を警護する任務にあたるんだけど、実は守られていたのは逆に・・という話なんですよね。そこはその通りで、あとはアニメーション的に見せ場を加えていた感じです。

キャラクターデザインや作画監督も兼任しているのは、当初は35分だったからということと関係あるんでしょうか。

そうだね。それもあるような気はするけれど、自分でこう描きたいという強烈なイメージがあったのがその理由ですね。

2枚目

『妖獣都市』

実際に作画をしてみて印象的だったキャラクターはいますか?

麻紀絵ですね。やっぱり麻紀絵が主役なんですよ、『妖獣都市』っていうのは。あと、滝よりもが描きやすかったです。動かし方もイメージがあったし。あんまり人間的な動きを見せないで、様式的にとらえられるキャラクターでしたね。それで異世界の妖獣、魔界の住人としては非常に説得力を持つキャラクターになったかなと思います。

   

画面を見ると、鼻梁の影がBL影(ブラック影)になっているカットが多くて、ハイコントラストな画面を狙っているのかなと思いました。

ハイコントラストというか、画面全体を暗くして、くっきり見せないようにしようとしていたんです。それで結構BL影が増えたんだと思います。男性キャラは入れやすい感じはありましたが麻紀絵は肌が真っ白だしなかなかブラック影の使いどころが難しかったです。

 2枚目         2枚目         2枚目

『迷宮物語 走る男』

そういうセル画でこってりと重たい絵を作る、という意識は『走る男』のころからあったんでしょうか。

『走る男』はフランスのバンドデシネなんかをイメージの根っこに置いたりしたんです。あとはりん(・たろう)さんの『ラビリンス*ラビリントス』、大友克洋さんの『工事中止命令』と並ぶので、その中で負けないように目立つにはどうしたらいいかを考えて作っていたところもあるます(笑)。『妖獣都市』は、そういう『走る男』を見たプロデューサーが持ってきてくれた企画ですから、あいいうビジュアルが望まれているんだろうな、ということも当然考慮はしたと思います。

『走る男』は今見てもものすごい密度感のある画面ですよね。

スケジュールがあったので。しかも13分とかショートフィルムですから凝る余裕がありました。これだけの環境なら、どれだけでも動かせるだろうと思って作業してました。

『妖獣都市』の画作りに関して一番苦労にされたのはどこですか? 

そうですね、35分から80分に尺を伸ばさなくてはならなかったこと以外はそんなに苦労したっていう感覚はないです。本編80分で850カットくらいだったと思うんですけど、作画監督としてその物量をどうこなしていこうかと考えたぐらいで。まだ、マッドハウスの現場がまだ弱い時期で、それでメインで描いてくれた原画としては浜崎(博嗣)君、岡村(豊、現:天斎)君とか竹井(正樹)君がいて。小池(健)君はまだ動画とか動画チェック補佐というぐらいだったはずで。

小池さんは『妖獣都市』あたりで入社されたんですよね?

そうです。だからメインで原画を任せられる人っていうのは、本当に数人しかいなくて。それで自分でバーっとラフ原画を描いて、どんどんシートもつけて、それを二原として発注したみたいなやり方をしたんです。もうレイアウトとラフ原画をがんがん描きまくって。原図も、ほとんどラフだけ描いてすぐ男鹿ちゃんに渡してました。たぶん全編の3分の2とかはそうやって作ったはずです。それで半年でほぼ作ったという。

スタジオとしてはありがたいですよね。

今考えると、すごいハイペースでした。男鹿ちゃんも原図描くの早いですから。

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